歴史を巡る~北海道から名古屋・仙台② 「熱田神宮と信長塀、中京工業地帯」
こんにちは、則武です。今回は歴史ツアー2回目です。
名古屋空港からはバスと電車を乗り継ぎ、向かった先は、こちら。

熱田神宮です。
歴代天皇が代々継いできた三種の神器の一つ「天叢雲剣」(あめのむらくものつるぎ、通称・草薙剣(くさなぎのつるぎ)とも)をご神体として祀る神社です。
「天叢雲剣」は「古事記」「日本書紀」にその伝説の記載があり、特にスサノオがヤマタノオロチ退治にあたって入手したこと、ヤマトタケル東征で使用したとされること、壇ノ浦の戦いで形代(かたしろ、いわばレプリカ)が平家滅亡とともに海中へ没したことなどでも知られています。

私も様々な神社を参拝したことがありますが、正直な話ここはそれらと比較して別格中の別格。
思わず身が引き締まります。

境内は非常に広く、北海道でも大規模な北海道神宮と比較してもかなり広いです。
何より荘厳さが違います。
周りにあるものも500年どころか場合によっては1000年規模の歴史を持っていて、
半端ではない歴史の厚みを感じます。
何しろ神話に出てくるだけあって創建がいつかわからない。
神話が創作のものだったとしても、少なくとも飛鳥時代にはこの地にあったようです。
すごいスケールの話です。
その中でも、今回ぜひ目にしたかったのがこちら。

「信長塀」です。

織田信長は1560年旧暦5月19日、今川義元の軍勢が前進したという報に接すると、敦盛を舞った後に午前4時頃清州城を出発。
午前8時にはここ熱田神宮に入り、軍勢を整えて必勝祈願をしたといいます。
その後現在の名古屋鉄道名古屋本線に沿うようにして進軍した織田勢は、午後の悪天候に乗じて桶狭間で今川義元を討ち取りました。

信長塀は戦勝の御礼として奉納されたものだそうで、このように境内の案内にも書かれています。
いま自分が触れているこの塀を、かつて織田信長も触れたかもしれない。
そもそも桶狭間の一戦の朝に、間違いなく信長はここにいた。
歴史のロマンの塊です。

そのほかに、展示物にもこんな文字が。「日本書紀」とあります。
この神宮には14世紀の写本が収蔵されており、歴史資料として貴重です。
その他にも、ご神体が剣ということもあって刀剣が多数収蔵されています。
時間があればもっと見学したいところでした。

さて、名古屋名物のきしめんを食し、次の目的地は名古屋港です。
今日はこのあとフェリーで仙台に向かいます。
このフェリー、仙台経由苫小牧行きなので、そのまま最後まで乗れば北海道に帰れるのですが、今回の利用目的は仙台滞在なので、途中下船です。
出港は19時ですが乗船開始が1時間半前からで、早めに乗船して食事をし、出港時の見学に備えます。

周囲に工場や倉庫などが立ち並ぶ港の一角にあるフェリーターミナル。
貿易額ベースで日本最大の港湾である名古屋港は、その背景として日本最大の工業地帯である中京工業地帯を抱えています。
周囲にはとにかく船舶が多く、連休にもかかわらず活気が感じられます。

夕方の19時、定刻に出港。
空には金星と月が浮かんでいます。
満月に近いので、航海の最中は海面を明るく照らしてくれることでしょう。

ほどなく、「名港トリトン」と呼ばれる高速道路の橋梁群のひとつ、「名港西大橋」をくぐります。
ご覧のとおり、高さはギリギリ。
そのはず、この橋はこの太平洋フェリーの通過を想定して設計されており、船のマスト高36メートルに対し橋の主桁高さは38メートル。その差僅か2メートルです。
実はこの船、長さも巨大船の定義ギリギリの199.9メートルになっています。
これは、このあと通過する伊良湖水道や、本州四国連絡橋の架かっている瀬戸内海の特定海域などの航行に制限がつくことを防ぐためのものです。



次々に、大型コンテナを吊り上げる大規模なクレーン、輸出を待つ大量の自動車、知多半島の製鉄所をはじめとした工場群が見えてきます。
教科書通りです。輸出の多い加工貿易、中京工業地帯の主要生産品である自動車…。


さらに右舷には、木曽三川のうち長良川と木曽川に挟まれた濃尾平野の輪中地帯にある遊園地「ナガシマスパーランド」、さらにその左には石油化学コンビナートで知られる四日市の明かりが。
あちらは三重県、地方区分でいえば中部ではなく近畿地方になります。
木曽三川が中部と近畿の境目になっており、ちょうどこのあたりがその境界なのですね。
船はこのあと未明にいよいよ太平洋へ。
ここから先の模様は、次回といたします。
名古屋空港からはバスと電車を乗り継ぎ、向かった先は、こちら。

熱田神宮です。
歴代天皇が代々継いできた三種の神器の一つ「天叢雲剣」(あめのむらくものつるぎ、通称・草薙剣(くさなぎのつるぎ)とも)をご神体として祀る神社です。
「天叢雲剣」は「古事記」「日本書紀」にその伝説の記載があり、特にスサノオがヤマタノオロチ退治にあたって入手したこと、ヤマトタケル東征で使用したとされること、壇ノ浦の戦いで形代(かたしろ、いわばレプリカ)が平家滅亡とともに海中へ没したことなどでも知られています。

私も様々な神社を参拝したことがありますが、正直な話ここはそれらと比較して別格中の別格。
思わず身が引き締まります。

境内は非常に広く、北海道でも大規模な北海道神宮と比較してもかなり広いです。
何より荘厳さが違います。
周りにあるものも500年どころか場合によっては1000年規模の歴史を持っていて、
半端ではない歴史の厚みを感じます。
何しろ神話に出てくるだけあって創建がいつかわからない。
神話が創作のものだったとしても、少なくとも飛鳥時代にはこの地にあったようです。
すごいスケールの話です。
その中でも、今回ぜひ目にしたかったのがこちら。

「信長塀」です。

織田信長は1560年旧暦5月19日、今川義元の軍勢が前進したという報に接すると、敦盛を舞った後に午前4時頃清州城を出発。
午前8時にはここ熱田神宮に入り、軍勢を整えて必勝祈願をしたといいます。
その後現在の名古屋鉄道名古屋本線に沿うようにして進軍した織田勢は、午後の悪天候に乗じて桶狭間で今川義元を討ち取りました。

信長塀は戦勝の御礼として奉納されたものだそうで、このように境内の案内にも書かれています。
いま自分が触れているこの塀を、かつて織田信長も触れたかもしれない。
そもそも桶狭間の一戦の朝に、間違いなく信長はここにいた。
歴史のロマンの塊です。

そのほかに、展示物にもこんな文字が。「日本書紀」とあります。
この神宮には14世紀の写本が収蔵されており、歴史資料として貴重です。
その他にも、ご神体が剣ということもあって刀剣が多数収蔵されています。
時間があればもっと見学したいところでした。

さて、名古屋名物のきしめんを食し、次の目的地は名古屋港です。
今日はこのあとフェリーで仙台に向かいます。
このフェリー、仙台経由苫小牧行きなので、そのまま最後まで乗れば北海道に帰れるのですが、今回の利用目的は仙台滞在なので、途中下船です。
出港は19時ですが乗船開始が1時間半前からで、早めに乗船して食事をし、出港時の見学に備えます。

周囲に工場や倉庫などが立ち並ぶ港の一角にあるフェリーターミナル。
貿易額ベースで日本最大の港湾である名古屋港は、その背景として日本最大の工業地帯である中京工業地帯を抱えています。
周囲にはとにかく船舶が多く、連休にもかかわらず活気が感じられます。

夕方の19時、定刻に出港。
空には金星と月が浮かんでいます。
満月に近いので、航海の最中は海面を明るく照らしてくれることでしょう。

ほどなく、「名港トリトン」と呼ばれる高速道路の橋梁群のひとつ、「名港西大橋」をくぐります。
ご覧のとおり、高さはギリギリ。
そのはず、この橋はこの太平洋フェリーの通過を想定して設計されており、船のマスト高36メートルに対し橋の主桁高さは38メートル。その差僅か2メートルです。
実はこの船、長さも巨大船の定義ギリギリの199.9メートルになっています。
これは、このあと通過する伊良湖水道や、本州四国連絡橋の架かっている瀬戸内海の特定海域などの航行に制限がつくことを防ぐためのものです。



次々に、大型コンテナを吊り上げる大規模なクレーン、輸出を待つ大量の自動車、知多半島の製鉄所をはじめとした工場群が見えてきます。
教科書通りです。輸出の多い加工貿易、中京工業地帯の主要生産品である自動車…。


さらに右舷には、木曽三川のうち長良川と木曽川に挟まれた濃尾平野の輪中地帯にある遊園地「ナガシマスパーランド」、さらにその左には石油化学コンビナートで知られる四日市の明かりが。
あちらは三重県、地方区分でいえば中部ではなく近畿地方になります。
木曽三川が中部と近畿の境目になっており、ちょうどこのあたりがその境界なのですね。
船はこのあと未明にいよいよ太平洋へ。
ここから先の模様は、次回といたします。
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